ナディア・コマネチについて


ナディア・コマネチ
1961年11月12日生まれ。
6歳の時にその才能を見いだされ、ルーマニアの首都・ブカレストで体操の英才教育を受けました。
9歳にして、ルーマニアジュニアの王座に立ち、14歳でモントリオールオリンピックに出場。
得意種目の段違い平行棒をはじめ、7つの10点満点・5つのメダルを祖国にもたらします。
コマネチは、世界中から愛される、白い妖精になりました。
そして同時に、祖国ルーマニアにおいても、過剰な寵愛を受けることになったのです。


当時のルーマニアは、チャウシェスク独裁政権のまっただ中。
秘密警察が闊歩し、庶民の生活は貧困を極め、
国民のタイプライターを登録許可制にするといったほどの言論統制もとられるような状況下で、コマネチは国民の星になると同時に、
独裁者・チャウシェスクの息子、ニクからも異常なほどに愛されてしまったのです。
権力者の息子・ニクの、ニクい愛。


時は1989年11月28日、肉の日の前日。
コマネチは、ルーマニアのすべてから逃れるために、亡命を試みました。
隣国ハンガリーへは6時間歩いて国境を越え、そのままアメリカに亡命。
その一ヶ月後、コマネチを失ったルーマニアに、革命が起きました。


※曲:宇多田ヒカル誰かの願いが叶うころ
※上半身ゆらゆら回してる
※水のむ


コマネチが亡命した約一ヶ月後、ルーマニアに革命が起きました。
チャウシェスクは拘束され、妻とともに処刑。
その模様、ショッキングな映像は、西側諸国で放送されました。
ルーマニア民主化の波は、コマネチの亡命が引き金となって巻き起こったのです。


現在、コマネチアメリカに帰化し、結婚して幸せに暮らしていて、
つい一ヶ月ほど前、6月5日には赤ちゃんも生まれたそうです。
おめでとうございますコマネチ。知らなかったよ。ごめんね。


きっと今頃は、赤ちゃんのおしめを取り替えてる頃でしょうか。
それとも、夜泣きに悩まされてる頃でしょうか。
泣きやまなかったら、アレやればいいんですよ。
両手を太ももの付け根にもってって、
コマネチ!
これできっと、泣きやみます。


※曲:LENNY KRAVITZ「STAND BY MY WOMAN」